「本当に必要とされるサービスを創る」をビジョンに、2012年にVOYAGE GROUPから起業。日本初のフリマアプリ「Fril(フリル)」を創業し、創業4年で楽天からのM&Aを受け、現在はエンジェル投資家としても活動する株式会社Fablic創業者&CEO堀井翔太さん。

今回は堀井さんにインタビューを行い、全2回に渡って創業準備のプロセスから、起業後の実体験などを紐解いていきます。大手企業・事業会社からの起業を検討している方にとって参考になれば幸いです。

第1回では、VOYAGE GROUP時代の仕事内容や起業を決意したきっかけをお聞きしました。

株式会社Fablic 創業者&CEO 堀井翔太
VOYAGE GROUPに新卒入社後、子会社Zucksの代表を経て、2012年、日本初のフリマアプリ「ラクマ(旧Fril)」を運営する株式会社Fablicを創業。 2016年に楽天株式会社に同社を売却。双子の弟で兄と一緒に共同創業。

一貫して新規事業立ち上げを経験した会社員時代

——VOYAGE GROUPではどのような仕事をしていましたか?

堀井:VOYAGEは通算4年くらい在籍していたのですが、1年目はインターンとして入りました。僕は一貫して新規事業しかやっていなくて、入社前の面接では「入るなら新規事業をやらせてほしい」とずっと言っていましたし、新規事業を経験して子会社の代表をやりたいと言っていました。

起業については、学生時代からずっと考えていました。ですが、インターネット事業でどうやってお金を儲ければいいのか、サービスをどう作ればいいかがわからなかったんです。それを学ぶためにVOYAGE GROUPに入社しました。

最初に経験したプロジェクトは、インターン時代にガラケーのメディア事業の立ち上げでした。「ポケP」というポイントサイトだったのですが、業務内容としては、アフィリエイトのリンクを広告として貼ったり、広告営業をしたり、コンテンツの更新やメルマガを作ったりしていました 。

当時のプロジェクトリーダーは現・サムライインキュベートの榊原さんで、ディレクター、新卒の先輩、1年目の僕、という4人のチームでした。

—そのプロジェクトは順調に進んだのでしょうか。

堀井:いえ、メディア事業が立ち上がって、入社・正式配属が決まったその1ヶ月後にその事業が撤退となったんです。そのプロダクトにはユーザーがしっかりといたので、本体のECナビ内のモバイル事業に引き取られる形になりました。結果的に入社1年目でメディアの事業の一部始終を見ることができましたね。利益を出す、ということ。そして、リニューアルを経験しました。

新卒2年目は朝日新聞との協業で、「コトバンク」というサービスの立ち上げをやりました。そのサービスには、当時VOYAGE GROUPの役員でサイバーエージェントの新卒一期生だった石川敬三さん(現・株式会社UNCOVER TRUTH代表)に立ち上げメンバーとして声をかけてもらい、喫茶店で話をされた時にすぐに参画の返事をしました。当時のコトバンクのメンバーは5人ぐらいでした。

コトバンクはどのようなお仕事を担当されたのでしょうか。

コトバンクは辞書のメディアだったのですが、朝日新聞さんがやっていた知恵蔵という辞書コンテンツのデータベースがクローズになるので、彼らの持つ辞書コンテンツをデジタルデータとして貯めて、検索でヒットさせて広告でマネタイズさせる、という事業戦略でした。ただ、データベース数が少なくて、上位表示されても収益があまり立たない、という状態で、辞書の語彙数を増やすために辞書を集める、という変わった営業をしていました(笑)

知恵蔵級に辞書の語彙数を持っている会社は講談社さんと小学館さんの2社しかなかったので、この2社と提携が決まらないと絶対伸びない。そこで二社にテレアポをし続けてなんとかアポを取って。ですが、お会いしてみると、当時は朝日新聞の知恵蔵という看板で運営していたので、「競合の名前のあるサービスなので参画できません。」と言われてしまい、「それでは名前を変えます。」と皆さんが入れる辞書のプラットホームを目指すことにしました。

朝日新聞・小学館・講談社全社が入れる辞書プラットホームであるコトバンクを作り、デザインも含め全てリニューアルを担当しました。リニューアルが完了したタイミングでお役御免ということで、「そろそろ自分で新規事業をやらせてほしい」と当時の役員に直談判しました。

1ヶ月で事業撤退を判断しピボット

—次の新規事業は何を?

堀井:まず、次のマーケットを考えるところからでした。2009年当時の市場環境は、モバゲータウンなどガラケーの勝手サイトが伸びていました。 KDDI の au oneの検索エンジンが Google になり、ガラケーの SEO とガラケーのリスティング広告がちょうど伸びてくるタイミング。ガラケーの勝手サイトが検索で見つかりやすい時期に入っていました。当時はスマホや iPhone が出始めてましたが、まだまだ持っている人は少ない時期でしたね。

そこで、公式サイトの着うたのようなカテゴリからリンク形式で探していたコンテンツを検索から探せるサービスを考えました。コンテンツをインデックスさせてもらい、どこかのサイトで検索された時に広告として表示させてもらって、それをクリックすると公式サイトに飛ばす、という新規事業です。

初期から受注をもらえたのでECナビモバイルのサイト内検索に導入するところから始めたのですが、メディア力がまだ弱く受注しても広告消化ができていませんでした。そこで事業撤退を判断して「この事業をやめます」と役員に伝えたところ、「1ヶ月でやめるやつがあるか」と無茶苦茶怒られましたね(笑)

そこから、エンジニアと2名でピボットして。ガラケーのメディアに対してサイト内検索エンジンとキーワードサジェスト型のリスティング広告をセットで導入してもらう事業に変更してうまく行き始めました。メディアへの導入事例が増えていく流れで、広告在庫を自社で持つことができ、バナー広告のアドネットワーク事業に育っていきました。

事業としても伸びる一方で、ガラケーの鈍化とスマホの台頭が見えてきて、スマホのアドネットワークとリワード広告を運営する子会社としてZucksが設立され、社長に就任しました。

会社で働きながらプライベートでもサービス立ち上げ

—事業責任者と子会社社長の違いはありましたか?

堀井:子会社立ち上げと事業部でやることではやることはそれほど変わりませんでした。ですが、自分の意識には違いがありましたね。「代表取締役」という肩書きでイベント登壇などすることで対外的には変わりますし、キャッシュフローやBSを意識したりとか、視座は上がりました。

一方で、子会社社長とスタートアップの起業家との違いは、売上・利益を作るだけでなく、大きな赤字を掘っても、いかにスケールさせるかが求められるところですよね。そこは起業家1年生にならないとそういうのが分からないし、やってみないと学べない部分でした。

—起業準備はどのように始めていましたか?

堀井:もともと、VOYAGE GROUPに入社後、その傍らで実はプライベートでもエンジニアで双子の兄と同期のデザイナーの3人でプロダクトを作っていました。

メディアを作っていたのは1年目だけで、2年目からは結構セールスを担当する期間が長く、自分でメディアをやってみたいという想いがありました。残りの二人も事業部で配属されたサービスしか作ってなかったので、別のサービスを作ってみたい、という気持ちがあったんです。土日も遊ばず、2個のサービス立ち上げをしていました。

スマホアプリは人生で一度のチャンス

—プライベートで開発していたサービスが当たったら起業する予定でした?

堀井:いえ、プロダクトが当たったら独立する、という考え方ではなかったんです。独立するきっかけになったのは、僕自身の成長が天井に差し掛かったような気がしたこと。宇佐美社長とも週1回1on1の時間もいただき、子会社を経営し、利益も出して、会社もそれなりにワークしている。

ただ、さらに個人の成長を意識したときに、自分で起業した方がよりハードだなと思い、独立を決めました。2011年当時、スマホアプリの波がきていて、人生で一度のチャンスかもしれない、というタイミングということも大きかったですね。

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