企業で社会人としての経験を積み、スキルやノウハウが身につき、自信も付き始めた頃に、選択肢の1つとして頭に浮かび始める「起業」。しかし、実際のその一歩を踏み出そうとすると「せっかく築いたキャリアがもったいないんじゃないか」「果たして本当にうまくいくのだろうか」など、不安な要素は尽きません。

今回はソーシャル経済メディア「NewsPicks」や企業・業界情報プラットフォーム「SPEEDA」を提供している株式会社ユーザベースの代表取締役社長(共同経営者)である稲垣裕介さんにインタビューを行い、大手コンサルティングファームでの経験が独立・起業にどのように活きたのか、そして起業にあたっての心構えをお伺いしました。特に現在、大手企業で勤務しながら起業を検討している方にとって参考になれば幸いです。

株式会社ユーザベース 代表取締役社長(共同創業者) 稲垣  裕介 氏
アビームコンサルティングに入社し、テクノロジーインテグレーション事業部にて、プロジェクト責任者として全社システム戦略の立案、構築、金融機関の大規模データベースの設計、構築等に従事。豊富なシステム技術の知識、経験を基に2008年に梅田優祐、新野良介と共に株式会社ユーザベースを設立。2017年よりユーザベースの代表取締役に就任。SPEEDA事業におけるCEOも兼務。

学生時代の挫折、起業へつながる原体験

―稲垣さんの起業に至った背景を教えてください。

稲垣:前職はアビームコンサルティング(以下、アビーム)でした。コンサルティングファームではあるのですが、職種はコンサルタントではなく正確にはエンジニアで、データベースの設計から構築、チームビルディングまでをやっていました。そのキャリアを選んだのは、「昔から技術が好きでエンジニアになりたかった」という点と、「人とは違う何か突き抜けたことをやりたい」、この2点をずっと考えていたからです。

(共同経営者の)梅田とは高校の同級生でした。愛知県の高校で一緒に大学への願書を書こうとしていた時に、梅田がいきなり「やっぱり東京へ行こうよ」と言い始めて(笑)、それまで名古屋の大学に進学するつもりだったのですが、次の日には関東の大学の願書を出していました。梅田はきっかけをくれた感じで、何かに挑戦したかったんですよね。当時は起業するなんて考えていませんでしたが、今思えば、それが現在につながる一歩であったように思います。

―そこから埼玉大学の工学部に入学されたのですね。

稲垣:大学時代は特に熱中できるものを見つけられずにいました。時間だけがどんどん過ぎていき、あっという間に就職活動の時期になり、「そもそも自分自身何をしていいか分からない」「何もアピールするものがない状態になってしまっている」と焦っていました。

そんな時に梅田からまた学生起業家選手権にエントリーしてみないかと誘われました。とりあえず参加することにしたものの、考えるアイデア全部がすでに世の中にあって、自信のあるプランを作れず、結局、参加を見送った苦い経験があります。この時、エントリーすらまともにできない自分の力のなさを痛感し、本当に悔しい思いをしました。

ただ、その時に梅田から「おまえより優秀なやつはいっぱい知っているけど、信頼できると思ったから誘ったんだ」という言葉をもらいました。この体験は自分にとって大きかったです。挑戦したくても諦めるしかなかったという「後悔」がその後の行動の相当な原動力になりましたし、梅田の言葉も自分の強みを初めて客観的に認識できるきっかけとなりやると決めたこと・約束したことを必ずやるという「誠実性」を自分の軸にして就職活動を進められました。結果的にギリギリアビームが拾ってくれて、何とか社会人への道が開けました。

失敗への恐怖を乗り越え、起業を決意

―アビームではどのようなお仕事をされていたのですか。

稲垣:アビームは本当に性格がいい人が集まっている企業だと思います。優秀な人が多いですが、それよりも、人のよさを一つの指標として見ているように感じましたね。数あるファームの中でもアビームはITコンサルの占める割合が高く、僕はそれがやりたくて入社していたので研修も仕事も楽しくてしょうがなかったんです。

社会人最初にアサインされたプロジェクトは具体的に言いにくいくらい(笑)のかなりのハードワークが続きましたが、それが全然苦じゃない、ただただ楽しい。やればやるほど結果がでますし、どんどん成長もできるし、信頼にもつながる。そして、それが新たなチャンスをもらえることにもつながって、どんどん次につながる。

任された責任に対して結果を出せば、またさらに責任と裁量を広げて任せてくれるアビームの文化がとても合っていました。初めて高い熱量を持って努力できると思ったんですよ。この頃はとにかくアドレナリンが出まくっていて、ものすごく楽しかったのを覚えてます。

―そこからの転機には何があったのでしょうか。

稲垣:4年目になった頃、分かることも増えてきて、順調にキャリアも進んでいました。そんな時に梅田が、「こういうシステムって作れる?」とSPPEDAの前身のようなアイデアを持ってきたんです。最初はただの相談という感じで聞かれるがままにアドバイスをしていたのですが、ある時「一緒に起業してこのビジネスをやらないか?」と話をもらいました。

実は学生起業家選手権が何もできずに終わってしまった時に、「今は自分たちが本物の情熱を傾けるようなビジネスは思い付かなかったし、それをやる力がないことを痛感したから、今はお互い就職してビジネスの最前線で頑張ってみるべきだよね。ただ、いつか梅田が社長で事業を考えて、おれがエンジニアとしてモノを作る。そんな感じで起業できたらいいよな。」と口にしていました。

悔しさからの妄想に近いただの思いでしたが、この言葉は頭の片隅にずっと残っていました。梅田に言われたときは、本当にこの時が来たかという感じでした。そこから3ヶ月ほど悩みました。

―独立にあたって、どのような点に悩んだのでしょうか。

稲垣:2つあります。1つはひたすらタイミングです。アビームの仕事が単純に楽しかったし、まだまだ挑戦してみたかった。お世話になった方々もや目をかけてくださった方々もいたので、まともに恩も返さずに今ここで辞めるのかと悩みました。

もう1つは失敗への恐怖です。やはり実際に挑戦しようとすると本当に自分の能力が通用するのか、もう少し技術を磨いてからの方がいいんじゃないかという、自分がやったことのない挑戦に対する失敗への恐怖が言い訳を正当化しようとグルグル頭を回っていたと思います。

じゃあ僕自身は、今、何がしたいのかと考えたとき、「100億円があったら何をするか」と自分自身に問いかけてみました。何かの決断に迷ったときに自分自身にクリティカルクエスションを投げるようにしています。当時もこの問いを自分に投げた時に、この条件で選択肢から消える行動は、お金というインセンティブに基づいたものだと思いました。

そう考えると、アビームの仕事は選択肢から消えませんでした。ここは嘘偽りなく、僕にとってお金を超えてやりたいと思える楽しいものだったんですよね。でも逆に、もしお金があったら、今何をしたいかと考えた時にそのお金で起業に挑戦したいと思いました。つまり、アビームは好きだし名残惜しいけど、自分の一番やりたいことは起業なんだなって整理されました。

また、自分の友達が一緒に起業に挑戦しようと誘ってくれることなんて、人生でそうそうないですよね。ましてや、自分たちが大学時代に話していたことが実現するかもしれないなんて。自分の一番やりたいことが見えているのに、自分のタイミングや恐怖に言い訳してこの瞬間にやらないと、もう二度と彼と一緒にやることはないなと思ったので、起業を決断しました。

開発サイドとビジネスサイドの溝。創業時の苦労

―起業について、前職の社員さんからはどのような反応がありましたか。

稲垣:チームのメンバーたちは応援してくれました。「できることは何でも手伝うよ!」と言ってくれる同期や後輩、「本当に大丈夫なのか?」といろいろ心配をしてくれる上司もいました。その一方で、「申し訳なさそうに辞めることを謝っていないで、辞めた上でまた一緒にビジネスができるくらいの話を自分のところに持ってこれるように頑張りなさい」と激励を込めて言ってくれる役員の方もいたり。みんなの気持ちが本当に嬉しかったのを覚えています。

―起業後、ビジネスアイデアはどちらが考えられていたのですか。

稲垣:ユーザベースにとって最初のサービスは、企業・業界情報プラットフォーム「SPEEDA」。「SPEEDA」のビジネスアイディアは、梅田が最初に構想してその後もう1人の創業者である新野と共に議論して作っていました。

というのも、僕もコンサルティングファームにはいたのですが、職種はエンジニアです。金融系のデータベースは作ったことはありましたが、「SPEEDA」を使うような実際の経営戦略の提案に関わる仕事はしたことはなかったんです。ユーザーペルソナは明確に彼らとして、彼らからの「こういうサービスができないか」というユーザーの声に対して、僕は技術的な観点からベストな実装が何なのかにフォーカスをして話をしていました。

―創業時はどのような課題があったのですか。

稲垣:こういった経済情報の領域のサービス開発に、元ユーザーであるビジネスチームとそれを実装できるエンジニアチームが、同じ共同創業者としてチームを組んで経営できることは稀有だったんじゃないかと思っています。まさに異能同士が集まったチーム経営の強さが発揮されるところ。

しかし、逆にその異能同士がお互いを理解し合って本当のチームになれるまでが最も難しいところ。ただでさえ、ベンチャーは創業者同士の仲違いが発生する可能性が高いのに、バックグラウンドが違うということはお互いの理解をさらに難しくしたと思います。

当時、僕はエンジニアチームをマネジメントしていたのですが、そのエンジニアチームとビジネスチームも漏れなくうまく溶け込まなかった。お互いのプロトコルが違っていたんですね。

顕著な例でいうと、僕がいち早く開発をなんとかせねば、作らなければ会社は破綻する、と考えていたタイミングに、新野からはミッション・ステートメントやバリューが重要だという話をされて。今考えると、あの時から新野がミッション・バリュー経営に熱い思いをもって取り組んだおかげで、今のユーザベースの経営があるのですが、当時は全く理解できなかったですね(笑)。くそ忙しいのになんでそんな議論をしたがるんだ、そんな時間があるならSQLの1つでも覚えてくれ、と。ますますお互いの溝が深まっていきました。

その溝が埋まることなく完全に一枚岩になるには2年くらいかかりましたね。新野だけではなく、梅田ともしょっちゅう喧嘩をしてましたね。当時は、本当の経営チームではなかったんだと思います。

―そこの溝が溶けていく瞬間はあったのでしょうか。

稲垣:梅田とは開発がリリース前の佳境の時に、2週間くらいまともに口を利かないような冷戦状態になってしまったのですが、新橋の高架下の和民に梅田に呼ばれて6時間ぐらい腹を割って話しました。そこでようやくお互いの理解ができ、友達の延長から一緒に経営していくレベルの関係に変化したんじゃないかと思います。そこで疑いから始まるのではなく信頼から始まる会話ができるようになり、だいぶ無駄な喧嘩が減ったなと思います。

そこからも、本当に一個一個の積み重ねでした。なんとか「SPEEDA」がリリースできて、初めて開発フェーズから営業フェーズへの移行でまた変わったときにお互いの関係の景色が変わりました。新野がめっちゃ売ってきてくれたんですよ。彼の営業は、単純にモノを売るのではなく、自分の信頼と共に会社の可能性を売ってきてくれたんです。まだまだ機能としても拙く、名前も聞いたこともないような「SPEEDA」に対しても、お客さんが新野を通して会社の可能性を感じてくれて、着実に導入を進めていくことができました。

そこで今まで見えなかった新野の良いところも見えるようになり、だんだんとお互いの個性が尊重される環境になり、いいサイクルが生まれ始めました。エンジニアチームも徐々に信頼から始められるようになり、「新野さんがお客さんから組み上げてきた意見を聞いて開発に反映しよう」という空気感も生まれて、エンジニアチームが頑張って開発しているのでビジネスチームもより信頼して売りに行ける。そして、結果としてリリースしてから1年目で1回も売り上げが落ちなかったんです。

メンバーの給料も上げられたり、新聞にも取り上げられることでその家族や周りが喜んだり、成長実感が少しずつ形になってきてさらにいいサイクルが大きくなる。ようやくチーム経営が形になり、負のサイクルから抜け出せたと思います。信頼から始まる対話が大切であると実感しましたし、成長実感を形にできるようにすること、これも見えない不安と戦う中でお互いが信頼から始めるためにこれもとても大切なことであると実感しました。

まずは自分のスタンスを表明し、仲間を集めること

創業時を振り返って、社会人としての経験はどのように活かされたと感じますか。

稲垣:私自身、「エンジニア」であることと、もう1つ「組織」マネジメントにコミットしてきたことが強みだと思っています。梅田や新野のように「SPEEDA」のビジネスを構想することはできませんでしたが、自分の強みがクリアだったので「エンジニア」と「組織」マネジメントという観点から彼らとシナジー高くチーム経営をすることができたと思っています。

僕自身の本音として、究極の問いですが「事業」と「組織」のどちらが大切かと聞かれたら、僕は「組織」と答える人間です。僕の自己実現としても、最高の事業よりも最高の組織をつくりたい。ただ、最高の事業なくして最高の組織もないと思っているので、あくまでこの問いに対するスタンスの話ですけどね。

これを率直に言えるのも梅田と新野がいてくれたからで、彼らが「事業」で強いパッションを持ってくれているからこそ、僕は「組織」に注力できています。この強みは、アビームで早くからチームを任せてもらって、「組織」マネジメントに挑戦するチャンスをもらえたからだと思います。

これから独立しようかと悩んでいる読者へメッセージをお願いします。

稲垣:起業をすべきかどうかという問いに正解はないですし、コンフォートゾーンを超えてやったことがないことをやるのが起業です。最後は自分の「直感」で判断するしかない。ただ、「直感」で大事なのは、「思いつき」のレベルとは違うことです。このコンフォートゾーンを超えた挑戦をすることに対して、不安や葛藤があるのは健全なことだと思いますが、しっかり考え切れていなかったり、うまく前が見えていない状態で進むと、決断をした後でも揺らいだり、すぐに後悔をする可能性があります。

僕はコンフォートゾーンを超える挑戦をするかどうかを決断するときには、挑戦の量に対して同等に覚悟の量が必要だと思っています。そのために、自分にとって挑戦の量が大きければ大きいほど、自分の中で本当にやりたいことなのかを整理して思考を深めたり、第3者からの肯定的なアドバイスも不定的なアドバイスもすべてを受け止めて、その上でもやりたいと言える覚悟を持てるのかを検証する。それでも挑戦したい気持ちが消えなければ、「直感」に従って突き進み、起きる困難に対しても覚悟の強さで乗り切っていけるんじゃないかと思っています。

稲垣:あともう1つ。僕は圧倒的にチーム経営が強いと信じているんです。一人でやれることは限界がありますが、チームを組めれば可能性がどんどん増していく。起業だけでなく、何をするにも仲間を集めることはすごく大切だと思うんです。それが異能同士でチームを組めれば、自分の強みをより発揮できて自分の弱みを補ってくれるので、チームの強さがさらに相乗効果を生んでいく。

そのためには自分のスタンス、「自分はこういう人間だ」とオープンにすることが非常に重要だと考えています。自分はこういう世界を実現したい、自分はこういうところが強みであり、こういうところは弱みであると、自分をオープンにすること。人によってはその世界観が合わないでしょうし、もしかするとその世界観は間違っていると指摘されるかもしれません。自分の弱みをオープンにすることに怖さがあるかもしれません。

でも、自分がこういう世界を作りたいと強く信じられないとそこから先へ到達することはできないですし、その世界観に惹かれて一緒にやりたいと言ってくれる人も必ずいるはずです。また、それを一人では実現できないからこそ、助けてくれる人もいると思うんですよね。

当たり前の話で人間は完璧じゃないんですが、どうしても創業者は勝手に何でもできるんじゃないか・できて当たり前と神格化されやすいので、弱みもしっかり見せることは大切だと思っています。起業の前でもこれはできるので、まずは自分のスタンスをオープンにして、一緒にチーム経営をしていける仲間集めを早くからできるといいかもしれないですね。

—稲垣さん、ありがとうございました!

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